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本能寺の変により、織田信長が死んだ時、その混乱に乗じて、甲斐・信濃・駿河・遠江・三河の5国を支配する大名へと成長した。
その後、信長の後を継いだ豊臣秀吉に不満を持った、織田信雄と手を結び、秀吉と対峙する。戦争では有利に進めた家康だが、秀吉は信雄と単独講和を結び、家康は大義名分を失い撤退をよぎなくされる。
その後、秀吉の政略により秀吉に臣従することとなる。
豊臣政権時代に、家康は武蔵・伊豆・相模・上野・下野・上総・下総の7カ国に移封された。石高でいえば今までの150万石から250万石への加増だが、家康ゆかりの地である三河の土地を失った。
これにより、家康の居城は江戸城となった。
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