徳川家康〜江戸幕府〜

タイトル
サイトTOP相互リンク集相互リンクの詳細相互リンク申請フォーム

サイト内コンテンツ
清洲同盟
豊臣政権
江戸幕府
問い合わせ
サイトマップ

秀吉の死後、巧みな調略により仲間を増やし、政略により豊臣家の力を弱めて行き、ついに関が原の戦いで勝利を収め、征夷大将軍となる。

1605年、家康は将軍職を三男の秀忠に譲って世襲制を明確にした。また自分は大御所として、なおも実権を掌握し続けた。

武家諸法度の制定など、内政面での幕府体制を確立していった。だが、やはり江戸幕府を安泰なものにするには、豊臣家が目の上のたんこぶであったようだ。

家康は方広寺鐘銘問題で、豊臣家にインネンをふっかけて、戦争を開始する。この大阪夏の陣・冬の陣にて豊臣家を滅亡させる。その1年後に家康はこの世を去った。


<<BACK

Copyright:(C)THE戦国時代・徳川家康 since2006. All Rights Reserved.
当サイトに掲載されている内容の無断での転載・転用を禁止します。